第19回ことわざフォーラム

第19回ことわざフォーラムは、ことわざ学会創立大会を兼ね、2007年9月22日(土)午前9時15分から、明治大学リバティタワー1143教室で開催された。ことわざ研究会としては最後の、ことわざ学会としては最初のことわざフォーラムで、参加者70名を上回る盛会であった。

個別研究発表(テーマ自由)

午前の部「研究発表」では5名のことわざ研究会会員が自由テーマで発表を行った。

山本祐介会員(英語時間講師)は「ことわざの表意(explicature?)の同定について」と題し、関連性理論を用いて、聞き手がことわざを理解する過程に焦点を当て、P(ことわざ)、G(一般性)、S(状況)の関係を図解しながら考察した。

浦和男会員(文教大学兼任講師)の「『大阪しゃれことば』考」は、「ことば・の・わざ」としての広義のことわざである「しゃれことば」に着目した発表である。しゃれことばが三段なぞの形式をもつことは前田勇や鈴木棠三が論じているが、両者には発想の過程、コミュニケーションの過程に大きな違いがあることを「そないことされると、ほんまに八月の風やで(orなんぎやで)」を例に鮮やかに指摘した。

金鎮国(キム・ジンク)会員(聖徳大学生涯学習課講師)は「『ことわざ』表現における日韓対照研究―ことわざの比喩について(その2)―」と題して、「女」と「男」及びその類義語を含むことわざを日韓で比較対照し、多くの類似表現があることを発表した。またことわざには直喩表現が少ないが、「炒り豆と小娘は~」等の「AとBは~」の表現形式が意外な取り合わせによる直喩代替表現であることを指摘した。

松村恒会員(大妻女子大学教授)は「『獅子座三十二話』における金言詩の機能」と題して、ベルレトルと教訓文献の中間の位置を占める表題のインドの物語集に、「サンスクリット金言→古グラジャート語版→現代(グラジャート語)ことわざ」のプロセスが見られることを示唆し、07年6月ことわざ研究会例会において茂垣智子さん(大妻女子大学比較文学部学生)が指摘した「漢文成句→白話ことわざ→現代ことわざ」のプロセスとの中印の並行現象に触れて発表を締めくくった。

いずれも若手とベテランがそれぞれの持ち味を生かした、学会創立大会にふさわしい研究発表であった。(武田勝昭)

 

ことわざ学会創立総会

研究発表に続いて同じ会場で、ことわざ学会創立総会が開催された。まず議長に永野恒雄会員を選出。会則を審議し、質疑ののち準備委員会原案どおり可決した。次に人事案件に入り、準備委員会の推薦どおり、会長に奥津文夫(和洋女子大学名誉教授)、理事に穴田義孝(明治大学教授)ほか13名、監査役に浅井洌、木内宣男の各氏の選出を拍手で確認し、無事創立総会を終えた。

 

《古典芸能コーナー》

昼食休憩をはさんで午後の部は、奥津文夫会長の挨拶で始まった。続いては、ことわざフォーラム恒例の古典芸能コーナーで、ゲストにリチャード・エマートさん(武蔵野大学能楽センター教授)をお迎えし、笑謡「石原薬くわん」を鑑賞した。

最初に北村孝一会員が「笑謡」について解説。そこへ単衣の着物に袴、白足袋のエマートさんが登場し、素謡で「石原薬缶」の前半を演じていただいた。「枯木も山の賑いや」で始まる謡は、よく耳にすることわざのオンパレードで、ところどころで会場から笑いももれた。でも全体像やストーリーがまるでつかめない!再度、北村会員の解説ののち、後半部分の謡を拝聴。

その後エマートさんより、能楽に出会ったきっかけや「石原薬くわん」の楽しみ方についてのお話を伺った。民衆的なものであることわざを大真面目な謡でつらつらと並べていくことで、内容と形式のギャップが生まれ、笑いが生じるということであった。最後に、謡と仕舞でご祝儀ものの“猩々”を演じていただいた。ことわざ学会発足にふさわしい演目であった。(保阪良子)

 

講演「ことわざと俗信」

講演の冒頭で常光徹氏(国立歴史民俗博物館教授)は、子どものころ、遊び疲れて家に帰ると、母親から「柿の木が養子に来い言うとる」と言われた思い出を語る。これは、泥でカサカサになった手足を評した言葉であった。常光氏は、まずこうした「マクラ」で聞き手の心を掴んだ。

「ことわざと俗信」と題する今回の講演では、「俗信とは何か」、「ことわざと俗信の違い」、そして「ことわざ化しやすい俗信」といった順序で説明がなされた。フィールドワークと聞き取りによって得られた「ことわざ」の紹介を中心としたわかりやすいお話であった。

紹介されたことわざの中では、「慌てた鰹は針を呑む、落ち着く鯨は銛が追う」(高知県)、「博打、博労、場で果てる」(愛媛県野村町)などが興味深かった。そのほかにも珍しいことわざをお聞ききしたが、当日のメモが不完全なのが何とも残念である。(永野恒雄)

 

《シンポジウム》ことわざ学の可能性

シンポジウムは、北村孝一氏の「客観的な批判に耐えることわざ学の組織的な研究を」との力強い呼びかけで始まった。ことわざ研究の蓄積、方法論の確立があらためてアピールされ、シンポジウムの基調はこの方向で推移した。

続いて、歴史学の奈倉哲三氏(跡見学園女子大学教授)が幕末期の「見立ていろはたとへ」の大流行について詳細な資料を紹介し、これに基づいてことわざの分類が行われた。次に日本語学の立場から佐竹秀雄氏(武庫川女子大学教授)によって「目的・視点」「共時的研究」「通時的研究」の枠組みが示され、具体的な場面を伴った社会言語学的な研究の有効性が語られた。そして鄭芝淑氏(名古屋大学大学院助教)から「ことわざスペクトル」「PSリスト」という方法論の緻密化の提言がなされ、日本語辞書16、韓国語辞書15、英語辞書18によることわざの辞書的定義の比較によって浮かび上がる鮮やかな分析が示された。

フロアからは鄭氏の方法について、辞書のない国もあるのでは? 辞書には編纂者の恣意が入るのでは? 社会層による使用の違いは? といった質問が出た。またアジア以外でのことわざ研究の現状について質問が出たが、これにはフロアの武田勝昭氏から英語圏での現況、またガーナではことわざの分析がかなり前から緻密に進められていることなどが披露された。佐竹氏には、ヒンディー語のことわざ研究で創作に出てくるものを対象として研究しているのだが、その有効性は?との質問があり、使用者の意識が実現されているものとして有効と思う、とのお答えがあった。奈倉氏には、同じ時代の瓦版などは?との質問で、そのとおりで研究対象は広く存在する、との回答であった。北村氏には比較ことわざ学の可能性についての質問があり、これまでは影響、媒体を具体的に追うというフランス型比較文学研究の方法論による部分が多かったが、これからは、より自由な比較も十分に可能であろうとのお答えがあった。

こうして2時間余りの緊張したディスカッションが続いた。奥津文夫会長はことわざ研究会の最後の会報第65号で1996年の「国際ことわざフォーラム」のことに触れられているが、私(井桁)はその折りのパネルディスカッションの司会を務めた。今回、保坂良子氏とご一緒に司会を務めながら、この10年余りのあいだに、確かにことわざ学は深化し、視野は拡大し、方法論も新たに着実に進んでいることを実感することができた。(井桁貞義)