第20回ことわざフォーラム

2008年11月15日(土)、第20回ことわざフォーラム(ことわざ学会第2回大会)が「文豪とことわざ」をメインテーマに明治大学駿河台校舎で開催された。参加者は前年を下回ったものの、多彩なプログラムが用意され、有意義かつ楽しい一日を過ごすことができた。

研究発表(テーマ自由)

午前の部は研究発表で、9時半より研究棟2階第9会議室のメイン会場で始まった。

トップバッターは、山本祐介会員(英語時間講師)「“X is the mother of Y.”パターンのことわざについて―認知言語学的考察の可能性―」から。山本氏は「必要は発明の母」、「失敗は成功の母」のようなパターンのことわざに着目し、認知言語学の視点から、日本語のことわざの「母」には「生み出すもの」の意味で使用されているものが少ないことを指摘し、思考パターンにも西洋からの翻訳の可能性があることを説かれた。フロアからは、西洋からの翻訳のみならず、中国からの輸入の可能性やさらにそこから西洋へ逆輸入されることがなかったかという疑問や、日本のことわざにおける母親像の希薄さ、X=Yのことわざが英語的発想であることなど、グローバルなことわざの動態把握の必要性などが指摘された。

2番手は李惠敏会員(名古屋大学大学院博士課程)「ことわざの透明度」。李氏は、中国語の中小規模のことわざ辞典77点のうち38点が意味解説を載せずにことわざだけを収録している現状に注目し、中国人が解説のないことわざ辞典に対して特に不都合を感じていないのでないかと指摘した。そして、「透明性」という概念を提示され、不透明な表現が多く生み出された日本語のことわざと、透明性が強い中国語のことわざ表現の差異について論述された。中国語のことわざと四字熟語、故事成語、歇後語の区別が説明され、韓国語の四字熟語とことわざの区別についても確認がなされた。

3番手は、浦和男会員(文教大学兼任講師)「明治期の英語学習書とことわざ」。浦氏は、明治期の西洋ジョーク集を検索する過程で見出された、たくさんの英語学習書の中のことわざ収載書目について紹介され、明治期の英語教育史を俯瞰しつつ、英語教育の確立と英語学習書にみられることわざの用例を整理された。国立国会図書館の近代デジタルライブラリーの活用など、午後のワークショップ「ネットを使ったことわざ検索」と連動することわざ資料発掘の報告となった。

しんがりは鄭芝淑会員(名古屋大学大学院助教)「日本のことわざの認知度再調査」。鄭氏は、2004年に作成した日本と韓国のことわざPSリストを補完すべく行った、日本のことわざの一語補充式のアンケートを整理し、中学生、高校生、大学生、~49歳、50歳~と回答者を分けて、PSリストに基づく認知度調査の有効性を確かめられた。フロアからは、調査対象のうち、なぜ50歳以上を高齢者として調査したか(60歳ないし65歳以上が一般的)、アンケートを採った中学校・高校などの選定のしかたなど、調査方法や集計についての問題が提出された。

認知言語学に始まり、中国語、韓国語、英語、日本語のことわざと、ことわざの世界へのさまざまな取り組みの可能性を示唆させる発表会となった。(伊藤高雄)

 

《古典芸能コーナー》

午後の部は、奥津文夫会長の挨拶の後、恒例の古典芸能コーナーで、今回は女性の浪曲師の活躍が目覚しい今にふさわしく、浪曲師の太田ももこさんをお迎えした。曲師は佐藤貴美江さんで、澤孝子師をお呼びしたときにも合三味線を弾かれた方である。まずは、フォーラムのテーマである「文豪とことわざ」に絡めて、浪曲が如何に文士・作家・文豪から好まれていなかったかというお話で、楽しく興味深いものだった。浪曲は『源平盛衰記』。もとは謡曲のようだが、そこは浪曲、非常にわかりやすく、聞く者の心に訴える素晴らしい語りだった。この演目は、ももこ師と師匠の東家浦太郎師以外に誰も手がけていない作品で、参会者は貴重な機会に恵まれたことになる。

最後は質疑応答で、スペイン語を大学で勉強した方がなぜ浪曲の世界に、といった質問もフロアから飛び出し、明るく華やかな高座のお開きとなった。(保阪良子)

 

ワークショップ“ネットを使ったことわざ検索”

午後2時からは、会場をリバティタワー1075教室に移し、武田勝昭会員(和歌山大学教授)が「ネットを使ったことわざ検索」と題してワークショップを開催した(司会・浦和男会員)。ある意味で、この日もっとも「ためになる」企画であった。内容は、プログラム11~12ページにある通りであるが、実際にサイトを開いて検索するところを見せていただき、改めてネットの威力に驚かされた。ことわざ学のように、民間学としての色彩が強い学問分野においては、ネット上から有効な情報を引き出せるか否かが、研究の成否を決定するかもしれない。武田会員が紹介したサイトを「お気に入り」に登録しておくことをお勧めしたい。(永野恒雄)

 

《シンポジウム》文豪とことわざ

その後、再びメイン会場に戻り、コーヒーブレイクの後、3時10分からは「文豪とことわざ」をテーマとするシンポジウムが行われた。

まず中野春夫氏(学習院大学教授、イギリス演劇)が「どういう台詞が名台詞(ことわざ的表現)になるのか」と題して、シェイクスピアの名句を分析された。“To be or not to be …”などを引きながら、1)音のリズムが心地よい、2)意味が明示的でない、3)痛みなど、身体に還元する、4)笑い・ギャグ、などの要素が重要であることが指摘された。ユーモアを交えた語り口で、新たな切り口が提示され、参加者は大いに刺激を受け、話に引き込まれていった。

次に、野谷文昭氏(東京大学教授、ラテンアメリカ文学)が「セルバンテスの諺──騎士の才知、従者の智恵」と題して報告。『ドン・キホーテ』には、204例のことわざが256回使われており、作品の魅力のひとつは主従二人が繰り出すことわざや格言の応酬にあるとされた。さらに、作品中のことわざを具体的に取り上げながら、ブッキッシュで観念的なキホーテと民衆知を備え経験則に通じたサンチョを対比し、両者は対照的だが、後半になると相互浸透していくという。そして、ことわざの応酬はバフチンのカーニバル理論が当てはまる好例であり、こうした伝統はラテンアメリカ文学にも継承されていると、スケールの大きなセルバンテス論を展開された。

最後に、井桁貞義会員(早稲田大学教授、ロシア文学)が「ドストエフスキーとことわざ」と題して、作家がペトラシェフスキー事件に連座した際、徒刑地で手作りした「シベリア・ノート」の紹介から話しだされた。聖書とわずかな本しか手にできない環境にあって、多様な民衆と直接ふれあい、その言葉を記録したもので、500?に上ることわざや成句のほか、監獄の伝説や小咄、歌謡などが収められているという。ドストエフスキーは、聖書を深く読み込むとともに、民衆の言葉に耳を傾けることで作家として大きく成長していったのであり、ことわざは聖書と並ぶきわめて重要なコード(価値体系)の一つだったのではないか、と問題提起された。

パネリスト3氏のお話は、各分野の専門知識を踏まえながら広い視野に立ち、素人にもわかりやすい展開で、今後のことわざ研究に大きな可能性を示唆してくれるものであった。質疑については省略するが、シンポジウムに触発された論議は、今後の研究の深化・発展につながっていくものと思う。(北村孝一)