研究誌『ことわざ』第2号

吉岡正敞

 『ことわざ』をひもとくと、いつも未知の言語のことわざにいろいろ触れることができて楽しい。

まず「ことわざの文法と意味構造」(櫻井映子氏)を、リトアニア語にはどんな珍しいことわざが出てくるのかなと思って読んだが、筆者も述べておられるように、「他の民族のことわざと共通した、言わば国際的なことわざが少なからずある」のは意外であった。というより、これは当然のことなのかもしれない。「手は手を洗う」「話は銀、沈黙は金」等々、次々とおなじみのものが出てくる。ことわざというものは、さまざまな表現法を含めて、やはり人類の共有財産なのだとの認識を新たにした次第。

「カンボディアのことわざの研究」(岡野直喜氏)は労作であるが、ページの大半が収集されたことわざの分類の苦心とアンケートの集計結果の説明に割かれているため、肝心のカンボディアのことわざの具体例が10例だけになっているのは惜しまれる。今後は調査対象の年齢層を広げて比較研究を進められるよう期待したい。

私にとって最も面白かったのは「猫に関する日本語と韓国語の慣用的な表現」(鄭芝淑氏)である。ことわざそのものではないが、両言語の慣用句に表れた猫のイメージを的確につかみ出して、日本人には「かわいい家族的な動物」である「猫」が韓国人には「怖くて嫌いな獣」という悪役になっている驚くべき相違点を鮮やかに指摘されたのは、韓国に無知な私にはまさに「目から鱗が落ちる」思いだった。

「ことわざの換喩性」(武田勝昭氏)は「換喩」にスポットを当てて、ことわざの表現特徴を見事に分析して見せたもの。最新の先行研究にも目配りしつつ、いつもながらの的確な着眼と鋭い切り込みが光っていて、なるほどとうならせてくれる。

「ことわざと江戸川柳」(清博美氏)はことわざからの「文句取」の愉快な例の数々を紹介・解説されたもので、読み進むうちに、川柳こそことわざに鮮血を吹き込む引き立て役ではないのかという気さえしてきた。あまりにも鮮やかな「川柳名人」の包丁さばきには度肝を抜かれてしまった。ことわざ顔負けである。

「鉄は熱いうちに打て」(北村孝一氏)は、この外来のことわざがわが国に浸透してさまざまなバリアントを生みながら、ついには国民的ことわざにまで定着するに至った過程を数多くの資料の探索によって確かめ、その真実の足跡を執拗に辿った汗の結晶である。氏のあくなき追求の労を多としたい。

なお注文として2点ほど。外国語のレジュメは長短の不ぞろいが目立つ。文字通り「要旨」にしてほしい。また、簡単な筆者紹介を載せてはいかがであろうか。妄言多謝。(ことわざ研究会刊、2002年12月31日発行)