23回目を迎えた“ことわざフォーラム”は、2011年12月3日・4日の両日、ことわざ学会と岩手民俗の会との共催で、岩手県盛岡市郊外のつなぎ温泉・ホテル紫苑で開催された。3日はあいにく雨模様だったが、名古屋・東京・札幌からの参加者は盛岡駅からホテルのバスで直行し、岩手民俗の会など現地の参加者と合流した。早々に受付を済ませると、午後1時15分過ぎに開会が宣言され、ことわざ学会の奥津文夫会長、岩手民俗の会の大石泰夫代表の挨拶の後、さっそく研究発表が行なわれた。(以下は、当日の司会者などによる報告である。)
研究発表(1)
第1日目、最初の発表は、武田勝昭会員(酪農学園大学)の「藤沢周平のことわざ」。氏は、藤沢周平の全作品から採取したことわざを主に語用論の立場から分析し、最後に藤沢の作品に数多く見られる同語反復(tautology 例.「約束は約束やで」、「夫婦は夫婦だ」など)に触れ、それが価値判断のけじめを付ける役割をもって作品に端正な印象を与える役割を持っていることを述べた。ことわざ事例の集計や解析の仕方など後学の参考になるもので、ことわざを良く使用する藤沢に対して、同郷の作家丸谷才一があまりことわざを使わない傾向があることの指摘など、文学者のことわざ観の差異をも伺わせる興味深い発表だった。
二人目は渡部修会員(武蔵野大学)「民俗生活とことわざ―『苦しい時の神頼み』の背景―」。一般に、日頃は信心もしない者が困った時だけ神仏にすがる態度を揶揄の意味合いをもって使用されると記述される、このことわざの解に対して、表面的な解釈の奥にある民俗生活への視点を忘れるべきではないと説いたもの。会場からは、被災の現場で聞かれた「神も仏もない」のことばや、被災地での民俗芸能の上演の実態の紹介もあり、第三者が「対岸の火事」のように当事者を見るとき、「苦しい時の神頼み」に見えるなど、活発な意見が飛び交った。(伊藤高雄)
シンポジウム「フィールドと文献の出会い」
休憩をはさんで、午後3時からはシンポジウム。大石泰夫氏(盛岡大学;岩手民俗の会代表)と保阪良子会員(学習院大学)の司会で、岩手民俗の会との共催にふさわしい「フィールドと文献の出会い」をテーマに3名のパネリストが報告し、熱い論議が交わされた。
最初は伊藤高雄会員(國學院大学)「フィールドから見たことわざ-民俗採訪と辞典編集のはざまで」で、フィールド調査で出会った言い回しやことわざ表現が、『ことわざ大辞典』の改訂作業の中で、過去のことわざ資料集や辞典類に見当たらないものが少なくないという気づきを出発点として、何のためにことわざは収集され、言語化(標準語化)され、そして定着されていくのかという問題提起を行ない、文献に載ることの恣意性ないし権力性を指摘した。生活形態の変化等により、口承性が命であることわざ類の伝承の断絶が目前に迫っている、まさにそれゆえにフィールド調査の緊急性を強く訴えた。
続いて、中田功一氏(岩手民俗の会)が「岩手県のことわざ-フィールドの実態」について報告。中田氏は、南部と伊達(気仙郡等)の地域差(言葉、方言)の大きさにまず言及し、岩手をひと括りに扱う難しさを確認したのち、岩手各地および全国に流布していることわざの用法や意味を紹介した。明治の改暦で使われなくなった旧暦が今もことわざ類には生きていること、白米を食べる習慣がなかった雑穀地帯においては、炊飯技術口伝(「はじめチョロチョロ…」)がマニュアルとして伝承される必要があったことなど、刺激的で示唆に富む指摘がなされた。
最後に、北村孝一会員が「百年前の俚諺調査に学ぶ」と題して報告。北村会員は、1905年(明治38年)に当時の文部省によって、その土地の伝説・俚諺・俗謡等を収集せよとの通達によって編まれた資料の中には質量ともに優れたものがあること、収録方法も基準も記述も恣意的ではあるが、現代のフィールド調査に十分貢献しうることを指摘した。フィールドワークと文献研究は相互に補完し刺激し合う関係にあり、過去に埋もれた資料の発掘と再評価は両者の共通課題であることが再確認された。
その後のフロアも交えた議論は非常に活発なものであった。西洋化の道をひたすら進んだ明治政府がその後期において、各地の伝承の収集を指示した点については、当時プロイセンに留学した官僚がドイツで見聞したことを持ち帰ったこと、そしてそれが国民国家としてのアイデンティティを強化する上で重要であると判断されたのであろうという大石氏の指摘には目がさめる思いをした。確かにヨーロッパの後進国であったドイツは「言語国家」を目指す概念があり、18世紀以降ドイツ語圏の口承文学(グリムなど)、ことわざや迷信の収集、および民俗研究が盛んであった。時代も背景も目的も全く異なる状況においてことわざ収集の点で両国間に補助線が引かれた、これはパネリストの問題提起とフロアとの議論が有機的に結びついてたどり着いた1つであり、シンポジウムとしては最高の形であったといえる。(保阪良子)
古典芸能・篠木神楽鑑賞
シンポジウム終了後、岩手県滝沢村篠木地区に伝わる篠木神楽を鑑賞した。この日の演目は、「山の神」。最後のほうで、面を外した舞い手が長い詞章を謡うと聞いていた。舞い手の動きは、きわめて複雑かつ巧妙なもので、素人見にも厳しい修練が偲ばれた。舞いと演奏は、一定のパターンを繰り返しているかに見えたが、この繰り返しがクセモノで、見ているうちに妙な陶酔感に襲われる。長い詞章が始まった時には、配布されていたプリントと対照してみようという研究心は、すでに失われていた。(永野恒雄)
神楽鑑賞の後は、温泉につかり、懇親会で英気を養って1日目は終了。
研究発表(2)
2日目は、午前10時から研究発表が行なわれ、最初に鄭芝淑会員(愛知淑徳大学)が「PSリストとことわざの定義」と題して発表した。鄭氏は、御自身で提唱されたことわざの重みづけリスト、PSリストの成果を一歩進めて、日本・韓国・英語のことわざの定義の比較から、狭義のことわざをモダリティー(法的意味)をもった表現と定義づけ、そこに現われる文化的な差異について配慮し、分析をすすめなければならないと論じた。ことわざの定義にモダリティーという新しい概念を提唱したところに新味があり、それゆえに会場からはこの概念の是非について議論が沸いた。
続いて、飯田秀敏会員(名古屋大学)が「反対ことわざ」について発表。飯田氏は、ことわざ表現の中で特徴的に見られる互いに対立する意味をもつ反対ことわざ(対義ことわざ)について、その方式をつぶさに検討しながら、ことわざの本質を問おうとしたもの。氏は、およそ7つのパターンに反対ことわざを分類し、そのことわざ表現の独特な味わいを分析し、さらに韓国のことわざ辞典に反対ことわざが載っていないことなどを指摘した。会場からは、辞典の記述と、実際の現場で使われることわざとのずれの問題など、本質的な議論が提出され、今後両者の立場でいっそうの意見交換が必要ということで一致したところで、残念ながらバスの出発時刻が迫り、盛岡でのフォーラムは閉会となった。(伊藤高雄)