第27回ことわざフォーラム

通算27回目となる“ことわざフォーラム”は、2015年11月28日午後2時より翌29日(日)正午まで、熱海市来宮の芳泉閣で開催された。今回は、来宮神社に近い閑静な環境の中の温泉旅館を貸し切りで使うことができ、北海道や名古屋、関西からの会員も参加し、合宿形式で研究発表などを行ない、交流を深めた。(以下は、当日の司会者などによる報告である。)

★研究発表

 最初の発表は、高村美也子会員(国立民族博物館外来研究員)による「ボンディのことわざと実生活:タンザニア・ボンディ社会におけるフィールドワークから」。氏は、民族・言語の多様な同国で、北東部で比較的ことわざを多用されることに着目した。ボンディ族の長老から700 以上のことわざを聞き取り、意味と題材の両面から分析を加えた。その結果、意味解釈(22種) では、生きる指針となる道徳的なものが多く見られ、題材(衣食住・動物・生業等7種)からは歴史的背景・生活環境等の人類学的研究要素がうかがえた。フィールドワークに基づく貴重な発表であった。

 二番目の発表は、鈴木雅子会員(昭和女子大学非常勤講師)「英和辞典のことわざ記述における明治期英語文献の影響」。鈴木氏は、過去100 年間に出版された日本人向けの大型英和辞典に収録されたことわざの記述を精査し、問題点を浮き彫りにした。後世の辞典は初期辞典の記述を鵜呑みにしたため、(1) ことわざの変化に合わせた記述の変更がなおざりになった、(2)初期辞典に含まれる間違いを踏襲した、等の弊害が生じることとなったという。最後に、改善策として他辞典の記述の参照、ことわざの研究成果を踏まえること等が提言された。(武田勝昭)

★レクチャー

 泊りがけでゆっくりと時間の取れる今回、経験豊かな研究者によって、ことわざ研究の今後の発展へとつながる次の三つのレクチャーが行われた。

 まず、武田勝昭会員(和歌山大学名誉教授)による「比喩論の系譜--ことわざ研究との関わりで」。ことわざとの関係が深い比喩について、認知言語学における比喩形式に始まり、国内外のさまざまな研究者によるこれまでの研究の概観が示された。また学問分野としてことわざ学がパラダイムとなりうるか、その可能性について言及された。

 次に佐竹秀雄会長(武庫川女子大学名誉教授)による「新言文一致体とことわざ使用」。「新言文一致体」とは佐竹会長が自ら35年前に名付けた文体であり、書き言葉の話し言葉化現象を述べたものである。書き言葉における話し言葉の使用は必ずしも意図的ではなく、話すように書くことによるものであり、そのために感覚的な文章の内容・表現となっている。一方で、ことわざを使いこなすには論理力が必要とされ、そのため、感覚的に言葉を使う人にはことわざを使うことが難しいと考えられるという、現在のことわざ使用の退潮について考察が述べられた。

 最後に、2日目の談論につながるレクチャーとして、北村孝一会員(学習院大学非常勤講師)による「フィールドとしての近・現代文学」。明治時代以降の小説など、一般的な書物がことわざ研究の題材となりうることが示され、また文献からの用例収集について具体的な手法も提示された。今後のことわざ学を発展させていくためには、個別研究だけではなく、これまでの研究者があまり手を付けてこなかった用例収集の積み重ねによるフィールドの可能性が提示された。(鈴木雅子)

★談論「近代文学とことわざ」

 二日目は、早朝から希望者はいろはかるたで遊んだり、温泉に入り、朝食後、初めての試みとして参加者全員による「談論」が行われた。それぞれの読書体験などに基づき提供された題材を積み重ね、近現代におけることわざの問題点を探る試みである。

 題材は、時代としては明治期の尾崎紅葉・夏目漱石から始まり、山本周五郎、田辺聖子、宮尾登美子、宮部みゆきや現代のNHK 朝ドラマ「ちりとてちん」まで及び、地域としては韓国の法頂禅師、中国のドラマまでと広く、バラエティに富み、近現代のことわざを考える上で幅広い視野が必要だということを示唆している。また、一見バラバラな題材だが、だからこそ近現代におけることわざの問題が複眼的に浮かび上がったといえよう。

 問題は、大きく2つに分けられる。1.漱石や紅葉に見られる外国文化とことわざの問題。2.使用方法。1は、前近代から続く漢籍との関係ならびに近代から影響が顕著となる西洋文化の知識との関係である。2はさらにいくつかに分けられる。①誤ったことわざ認識、②もじり、③人生訓という3つの使用方法である。①はことわざの使い方が誤っているケースで、これは現代の小説にもよく確認できる。ただし、誤った意味が意識的に使用された場合は、②③にも発展する。②のもじりは、朝ドラのタイトルなどでも馴染み深いものであるが(たとえば「ちりとてちん」第一話は「笑う門には福井来る」)、ことわざの使用がドラマの内容自体とも連関する事例である。③は、ことわざを題材・テーマとして用いる、またはことわざを論じるものである。これは、南博の『日本人の心理』でも、また韓国の法頂禅師の作品にも見られ、日本に限らず、東アジアにわたって見られる現象とも言える。

 このように今回の談論であぶりだされた問題はかなり多様で、限られた時間内では十分に議論しきれなかった。とはいえ、学会ですでに何回か話し合われてきたことを含め、問題点を改めて共有できた点で有意義なものであり、学会全体として、今後どのような問題に取り組んでいくべきかを考える上で重要なヒントが得られたのではないだろうか。初めての〈談論〉は、出発点として有効、かつ興味深い内容であった。(荒木優也)