第29回ことわざフォーラム

通算29回目となる「ことわざフォーラム2016」は、2017年11月25日(土)、学会創立10周年を記念し、杏林大学井の頭キャンパスで開催された。好天に恵まれ、新聞の紹介記事もあって、近隣の市民や杏林大学の学生など、会員以外の方も参加するフォーラムとなった。(以下は、当日の司会者による報告である。)

研究発表

康婧文会員(杏林大学大学院)は、「ことわざにおける数詞『三』について」と題して、ことわざに頻出する数詞「三」の多義性について、認知的な観点から統一的な説明を試みた。たとえば、「仏の顔も三度まで」「三度目の正直」などは、必ずしも「三度」に限定した使われ方をしているわけではなく、「区切りの数」として象徴的に用いられているようである。このことから、数詞「三」は一義的には認識の境界点としての機能を果たしており、意味拡張の方向によって「多さ」や「少なさ」も表しうることが示された。(八木橋宏勇)

続いて、李惠敏会員(名古屋大学非常勤講師)は「ことわざにみられる対句表現について」と題し、日本・韓国・中国に見られる対句表現を特に中国詩歌との関係から論じた。会場からはすべての繰返表現を対句表現にのみ求めてよいか等の質問が寄せられた。たしかに繰返表現は、日本の『万葉集』に対句ではないものが認められる。そのため繰返表現は共通の基層文化として認められ、中国詩歌の対句形式もそこから派生したものだろう。そういう意味では、ベトナムなど他の漢字文化圏も考慮する必要性があるだろう。

最後に、鄭芝淑会員(鹿児島大学准教授)は「明治期のことわざ」と題し、自ら作成され、その有効性を長年にわたり検討してきたPSリスト(重み付けことわざ)の応用編と位置づけるべき発表をされた。PSリストと北村会員作成の明治期ことわざ16種リストとの比較が、明治期から平成期までのことわざ使用の盛衰や変遷の解明に有益であることを指摘した。課題として、データの更なる蓄積や元データ自体の慎重な資料批判が求められるが、それにより客観性がより高まるだろう。地道な基礎研究の必要性を再認識させる発表として、午前のトリを飾った。(荒木優也)

伝統芸能(講談)

昼の休憩をはさんで、午後の部の最初は久々の古典芸能コーナー。演目「天明白浪伝 八百蔵吉五郎」にちなんで、高座のバックスクリーンに三代目市川八百蔵の梅王丸の浮世絵を映して、神田阿久鯉師をお迎えした。きりりとした阿久鯉師の着物姿に期待感が高まる。講談一般について基礎知識の導入ののち、凛とした張り扇の音とともに「吉五郎」の世界へ。登場人物の姿かたちを言葉で彷彿とさせる力、程よいスピード感、張りのある師の美声に引き込まれていった。話の続きをもっと聞きたい!と如何に思わせるかが講談師の腕の見せ所という師のご説明の通り、スパッと形よく終了した。あっという間の40分間。その後、気さくに快くフロアとやりとりしてくださった。師の講談によってことわざフォーラムにぴりりとしたアクセントが与えられ、参加者の表情も明るく幸せに見えたのが印象的だった。(保阪良子)

シンポジウム「ことわざの普遍性とお国柄」

コーヒーブレイクと“ことわざ研究奨励賞”の授与式をはさんで、恒例のシンポジウムが行われた。
まずパネリスト4名による次の報告がなされた。ゲストの楠家重敏氏(杏林大学外国語部教授)「W.G.Aston の「ことわざ」紹介」、武田勝昭会員(和歌山大学名誉教授)「コーパスから見たことわざの使用状況」、高村美也子会員(南山大学人類学研究所国際化推進事業研究員)「タンザニア・ボンデイ族の助け合い精神」、鄭芝淑会員「韓国のことわざの特異性」である。
楠家氏は、イギリス人外交官で日本学者のW.G.Aston が、1872年にイギリスの雑誌に日本のことわざを紹介していることを取り上げ、その内容と反響について報告され、この資料のもつ意義を述 べられた。
武田会員は、鄭会員が作成したPSリストと日英のコーパスを利用して、ことわざの使用状況についての日英比較の結果を発表された。分析によると、日英で似通った数値を示しており、その事実は、両者の言語やことわざの成り立ちを知る上で示唆的であると主張された。
高村会員は、ボンデイ語のことわざを分析した結果から、相互協力、家族関係に関することわざが多い事実を紹介、そこには農業を中心とする生活の影響が大きいことを指摘された。
鄭会員は、韓国のことわざについて、表現形式、意味内容など、さまざまな側面ごとの特徴を日本と比較しながら分析された。それを踏まえて、ことわざ学の成立には、方法論の確立が重要であることを強調された。
報告の後、報告の背後にある事実関係に及ぶ質疑応答が行われ、言語や民族を越えたことわざの共通性と独自性に思いを馳せたひとときであった。(佐竹秀雄)