第32回ことわざフォーラム

“ことわざフォーラム2020”は、12月12日(土)午前10時より杏林大学井の頭キャンパスで、地球ことば村との共催で開催された。コロナ禍で開催が危ぶまれるなか、ズームを併用するハイブリッド方式で、メイン会場のほかリモートで地方や海外からも会員が参加した。

研究発表

最初の発表は山田奎裕さん(杏林大学大学院)の「オクシモロン的ことわざに関する考察」(オクシモロンは矛盾する表現を並べ効果をもたらす修辞法、撞着語法)。その使用実態を新聞記事データベースで調べると、「急がば回れ」の使用頻度がきわめて高い。多様な認識をスッキリした形式で表現しようとする「言語の経済性」に適うので頻繁に使われるという。次に「負けるが勝ち」を取り上げ、長い人生では相手に勝ちを譲るほうが自分のためになるという本来の意味よりも、喧嘩で一方をなだめたり、負けた方が負け惜しみに口にするような用法が目につくという。なるほど、面白い。

次に鈴木雅子会員(昭和女子大学助教)の「文化リテラシーとことわざのミニマム」。外国語の学習を進めていくと、やがて壁に突き当たる。言葉の表面的な意味は分かっても、真意をつかむことは難しい。そのバリアを越えるには「文化リテラシー」が必要で、ことわざを学ぶことが一つの鍵だという。そのことわざの選択には「ミニマム」が役立つが、その定義や内容は確立されていない。そこで鈴木会員は、従来のミニマム論議に加え、「ミニマムで学ぶ」ことわざシリーズ(クレス出版)の英独仏西語4書(+デンマーク語のことわざ)の比較検討を試みる。その詳細は紹介できないが、この作業によって、個別言語を越えたミニマムの共通イメージがある程度浮かんできたといえよう。他の研究者を含めてミニマムをめぐる論議が深まることを期待したい。

最後は王少鋒会員(大阪電気通信大学准教授)による「ことわざにおける伝統的な中国女性像と現代女性」。社会学によるアプローチで、最終的には中国・韓国・日本のことわざの中の女性像の比較研究をめざし、今回は中国語を取り上げるという。中国では、ことわざに近い成語などのジャンルがあり、文章語と会話文の隔たりも大きく、日韓とは事情が異なるとしたうえで、温端政ほか編『谚海』(1999)から女性にかかわる437 のことわざを抽出し分析した。その結果は、①女性の容姿を褒めるのは若い女性限定、②女性の美貌も罪、③女性の性格はたいがい悪い、など八つの特徴にまとめられた。伝統的女性観がきわめて差別的なことに驚くが、思えば日本も近年まで同じようなものであった。その一方で、新中国の誕生とともに広まった男女平等思想があり、「女性は天の半分を支える」という表現もある。また伝統的価値観と現代女性のギャップも目につくという。

ジェンダーギャップ指数から新生児の男女比を論じるなど、言語中心のアプローチとは異なる新たな視角と可能性がうかがわれ、日韓を含めた今後の比較研究の成果に注目したいと思う。(尾﨑光弘)

ワークショップ

まず角悠介氏(ルーマニア国立バベシュ・ボヨイ大学日本文化センター所長)の「ロマ(ジプシー)のことわざから覗く人間関係」。「ジプシー」は侮蔑的呼称で、現在は「ロマ」が用いられることを述べ、ロマニ語のことわざからロマ文化を紹介し、ロマと他者の関係を内側から観察するとした。ロマと非ロマ(ガヂェ)の間には距離があり、「ロマはロマのまま、ガヂェはガヂェのまま」という表現もあるという。次いで夫婦や嫁と姑、友人に関することわざを順次紹介し、人間が考えることはほぼ同じで、他民族にも見られる教訓が多いが、「人類は皆兄弟」ではなく、ロマとガヂェの間には大きな溝があると結論づけた。ロマはインド起源といわれるが、500 年を越える異国流浪のなかで、なお独自の文化を失わないロマの底力が垣間見られる貴重な報告であった。

続いて、李恵敏会員(名古屋大学非常勤講師)が「朝鮮族の生活とことわざ」について報告。朝鮮族は教育に対する関心が高く、保育園から大学まで朝鮮語による教育が受けられ(漢語=中国語の教育との二言語教育、大学ではさらに外国語が加わる)、人口あたりの修士・博士号取得者が全国平均を大きく上回る。ことわざは小学校から教えられ、漢語表現の朝鮮語訳も含まれる。また、ことわざに関する朝鮮語書籍も出版され、伝統文化を伝承しつつ積極的に学ぶ姿勢が感じられるという。

最後に、黄海萍さん(一橋大学大学院博士研究員)が中国広西チワン族のことわざと文化」についてリモートで報告。チワン族はタイ系の水稲耕作民で、人口約1700万人、中国最大の少数民族であるという。チワン族の言語(チワン語)や文化の特徴を概説した後、「あひるの背中に水をかける」(馬耳東風)や「尻尾の短い犬が自分の尻尾をほめる」(自画自賛)など、母語の龍茗方言のことわざを紹介された。残念なことに、近年は中国語による義務教育の推進とテレビの普及によってチワン語の使用が急速に衰退し、多くのことわざが人知れず消え去ろうとしているという。(北村孝一)

シンポジウム

最後のプログラムは「ことばの力を取り戻す--マイノリティのことわざ-―」をテーマとするシンポジウムで、まず星野ルネさん(リモート参加)が「世界のことわざを見比べるのは面白い!!」と題し報告。カメルーン生まれで、4歳で来日。自分の生い立ちが人々の関心を集めると知って上京し、マンガ家&タレントになったという。小学生のとき、ことわざの本を手にしたのをキッカケに関心を持ち、『世界のことわざ大集合』(集英社)の著書がある。ことわざを「生きる知恵の詰まったカプセル」として位置づけ、世界的視野で見てゆくと、意外な類似性に気づくという。いくつかのことわざを例に体験談を交えながら、明快かつ詳細に説明した。

 

 

続いて髙村美也子会員(南山大学人類学研究所研究員)の「ボンデイのことわざは復活するのか? きっかけはSNS !?」。東アフリカ・タンザニアの民族語のボンデイ語は文字を持たない言語で、スワヒリ語に押され近年衰退傾向にあったが、意外なことに、2017年ごろからSNSを通してボンデイ語の使用やボンデイのことわざの紹介が盛んになったという。これは、ボンデイの人々における民族的アイデンティティの再認識につながる動きである、と髙村会員は強調した。

三番目は、在野ことわざ研究者の北村孝一会員で、テーマは、ずばり「マイノリティとことわざ」。先行した二つの報告を受けるかのように、初めにアフリカのトゥアレグ族のことわざ「テントは離し、心は近づけよ」、続いてスワヒリ語のことわざ「道に迷うことは道を知ることだ」を紹介する。さらに話題を転じて、日本のマイノリティ(沖縄・アイヌ・女性)のことわざについて解説していった。「ことばの力」が衰退ぎみの現在、その力を「取り戻す」ためには「マイノリティのことわざ」を研究し、そこから示唆を受ける必要があるという。

三人の報告の後、リモートの参加者も交え質疑がおこなわれた。詳細は省略せざるをえないが、会場から星野さんの報告が印象的だったとの発言があった。たしかに日本でマイノリティの星野さんが、日本のことわざに着目し、世界的な視野から解説し紹介するエピソードが興味深く、「語り」の完成度にも感心した。

シンポジウム全体について感じたことを二つ述べる。星野さんの報告を振り返るうちに「感性的論理」という言葉が思い浮かんだ。庄司和晃(1929~2015)の造語である。ことわざは、やはり「感性的論理」と相性がよい。そして、ことわざと同様に、感性的論理もまた世界共通なのだろう。さらに、感性的論理としてのことわざはマンガと相性がよいのではないか、とも思った。北村さんは、「マイノリティのことわざ」によって、ことばの力を取り戻すと述べた。その発想に驚くと同時に、心から共感した。一方で私は、ことわざそのものが「マイナーな存在」ではないのかと思った。そこにこそ、この「ことわざ学会」という会の存在意味があるのではないか、とも考えた。(永野恒雄)