第30回ことわざフォーラム

「ことわざフォーラム2018」は、12月1日(土)鹿児島大学郡元キャンパスにおいて、ことわざ学会と鹿児島方言研究会の共催で開催された。好天に恵まれ、地元メディアの紹介もあって、学会会員および地元の研究会会員のほか、鹿児島大学の学生や市民も来場し、岐阜など遠方から参加した研究者も散見され、メインテーマ「ことわざと地域性」を論じるにふさわしい、活気あふれるフォーラムとなった。

研究発表(自由テーマ)

午前の部は、10時から3名が研究発表を行った。

まず、永野恒雄会員が「袖の民俗とことわざ」と題し て、全国に存在する俗信「~で転ぶと三年以内に死ぬ。 転んでしまった時は~せよ」(三年坂伝説・袖モギさ ん)を土俗学者中山太郎他から例を引いて論じた。禁忌とされる場所には、袖が木に引っかかって断れた、石に躓いた等の伝承があり、「袖掛神社」「袖モヂキ」「袖 ハギ」「袖掛松」「袖モギ坂・地蔵」等に名残を止めているという。最後に、着物の片袖をモギとってそこに置く風習は、大昔の人々が行倒れや変死した者に恐怖の念を抱き衣服を掛けたことに始まったとする説を引いて締 めくくった。

次に、鹿児島方言研究会の柴山勝男副会長が「薩摩のことわざ」と題し、15のことわざを取り上げて発音、意味、使用場面の具体例をあげて紹介した。なかでも印象的だった次の5つの表現を挙げておきたい。①「おんぼ戻いの医者ばなし」(おんぼは葬式の意)、②「ゴキ作いのかげゴキ」(ゴキは食器)、③「心ざしゃ韮ん葉」 (真心さえあればよし)、④「西郷さんのきざ」(虎刈 り、南州神社の石段にたとえたもの)、⑤「イラサは逆しんめ引きゃならん」(横車を押す人、イラサ〔枝のある竹〕は梢を掴むと引きにくい)。

最後に、尾﨑光弘会員が「ことわざで地域の何が見え るか」と題し、「川越いもの歴史」を〈広義のことわざ 〔コトワザ〕〉の視点で読み解いた。「いもの元祖」吉田家が〈救荒作物〉として普及させ、寛政期に「江戸の 焼芋屋」が安くて美味いと評判になり、「川越いも」が 換金作物に転換したという。そして、これに並行して、 サツマイモのキャッチフレーズも「八里から八里半へ、そして十三里へ」と発展する。間に九里(栗にかける) をおくことで、「九里より(四里)うまい十三里」が 誕生。「八里」は長崎方言、「八里半」は薩摩方言、 「十三里」は川越と日本橋との距離だという。コトワザによる〈とらえ直し〉で地域の〈価値志向性〉を際立たせた着眼が新鮮であった。(武田勝昭)

伝統芸能〈奄美島唄〉

昼食休憩(その間に別室で学会総会)をはさんで、午後の部の最初は恒例の伝統芸能。今回は、奄美の島唄で、唄者の中村瑞希さんと永志保さんをお招きし、解説は梁川英俊氏(鹿児島大学法文学部教授)にお願いした (司会は、元アナウンサーの池田昭代さん)。

曲は〈朝花節〉や〈六調〉など、奄美の島唄のスタンダード。三味線を手に唄いはじめると、ナマの島唄の迫力にたちまち参加者全員が引き込まれた。お二人とも奄美民謡大賞を受賞した若手の実力者--そんな予備知識は なくても、裏声を積極的に活かした島唄の深い響きに圧倒される。その背後には、長い歳月伝承されてきた(ことわざにも通じる)ことばの威力がたしかに感じられる貴 重なライブで、いまも耳に、また脳裏に強く残るひとときとなった。

コーヒーブレイク

コーヒーで一息いれたところで、鹿児島弁劇団「げた んは」による寸劇。全員ボランティアというが、方言を駆使し、しかも方言を知らない者にも理解でき、爆笑の渦に巻き込む構成と演技は並の技量ではない。

寸劇の後は、第2回ことわざ研究奨励賞の発表と授章式で、タンザニアのボンデイ族のことわざを長年研究されている高村美也子さんが受賞された。 (北村孝一)

シンポジウム「ことわざと地域性」

最後は、メインテーマの「ことわざと地域性」をめぐるシンポジウムで、3人のパネリストが力を込めた興味深い報告に、会場から質問や発言が適度にからまり、会場全体が、知的にして心地よい時空間になった。

最初の報告は、武田勝昭会員による「アメリカ社会におけることわざ」。アメリカの英語ことわざの構成につ いて、ラテン語・フランス語・聖書の影響、古来の英語・英語以外の諸言語によるものなど、多角的な視角から重層的に分析し、アメリカのことわざと地域性について考察した。

二番目の報告は、鹿児島方言研究会の種子田幸廣会長による「鹿児島のことわざの特徴」。鹿児島弁が今日でも使われていて、日常的に単語が促音化したりや音便変化することが多いことを具体例を挙げて説明されたうえ で、「焼酎編、武の国編、自然編、生活編」などとする 独自の分類により、鹿児島のことわざを紹介し、その特徴についてユーモアを交えて解説された。

最後の報告は、北村孝一会員による「ことわざと地域性を考える」。室町時代後期の「京へ筑紫に板東さ」を 引いて当時の日本人が言語の地域差について寛容だった ことを述べ、鹿児島の「牛の尻(しい) ぼよっか鶏(にわとい)のビンタ」を 例にことわざが浸透するにつれ、身近な表現(方言や俗語)になっていくのは当然のなりゆきであるとした。さらに、地域独自のことわざにふれ、地域性の問題を掘り下げる報告であった。

いかにも「シンポジウム」らしくなったのは、北村会員が報告を補足する形で、「ことわざの三層構造」(深層=感性的論理、中層=民俗、表層=ことば)という捉え方を提示したあたりからであった。これに絡めて、武田会員から、「文化のリテラシー」(文化の運用力)と いう視点から、ことわざを捉える必要が説かれた。

さらに、鹿児島のことわざ「谷山犬(いん)の食い逃げ」 (「~の食れ逃げ」ともいう)をめぐって、背後に豊臣秀頼が大阪城の落城後薩摩に落ち延びたとする伝説があり、谷山周辺だけでなく、県下の広い地域で知られてい たことが紹介され、ことわざの「地域性」、ことわざの 「民俗」、ことわざの「運用力」といった問題が、会場から、あるいはパネリストから提起されることになっ た。このあたりの議論の面白さは、この短い文章では、 残念ながらとても伝えきれない。東京に戻って、その会場の一角に居ることができたことの幸運を思い出しているところである。(永野恒雄)