カロッサ研究から統語論、ことわざへ ――乙政 潤氏に聞く――

――なぜドイツ語を学ぼうと思われたのですか?

 積極的な理由ではないんですが、英語が好きではなかったんですね。終戦後、進駐軍が街にあふれ、英語(アメリカ人)に尻尾を振るような輩が多くいたわけですが、私は同調できなかったのです。ドイツに対しては、素晴らしい技術力など、尊敬する部分がありました。

――大学院修了後すぐドイツ語を教えられたのですか?

 いいえ。当時は専攻科と言ったのですが、修了後3年間は高校で英語を教えていました。戦後、ドイツとの国交が途絶えていた時期、ドイツ語での就職先はほとんどなかったんです。高校での英語教育は、今と違って、リーディングがほとんどでしたね。その後、大阪外大がドイツ語の助手を公募しており、そこで母校に戻ったわけです。

――初めてドイツに行かれたのはいつでしたか?

 昭和43年、35歳の時に初めて文部省の在外研究員としてドイツの地を踏みました。家族も一緒にザールブリュッケンに1年滞在しました。この前年に日本で言語学(統語論)の勉強会に参加していたのですが、その言語学を専門としている先生のもとで、言語学に関する講義を受けていました。当時は、研究というより、ドイツという異文化を肌で体験したことが大きかったですね。

――言語学は学生の時からご専門に?

 いいえ。その頃の基本は文学でした。言語学といった確立した分野はなく、私もハンス・カロッサを研究していました。言語学を学ぶようになったのは、さきほどの勉強会、そしてドイツへ行って以降ですね。統語論を専門に始めたのですが、人間と言語の関係に興味を持ち、次第に語用論の立場へと移行しました。授業でもLL教室で教えていましたし、言葉を話す人間と言葉の関係が興味深く、現在では語用論の立場からテキスト言語学の分析を行っています。最終的には、オノマトペに関してまとめることができ、定年の年に大阪大学から博士号を頂きました。

――ことわざ研究のきっかけは?

 ことわざは、大阪外大で中北欧文化研究というプロジェクトがあり、そのときにドイツ語のことわざとオノマトペを調べたのがきっかけです。その後、ドイツ語のことわざをまとめ、大学書林から『ドイツ語ことわざ用法辞典』(1991年)を出版してもらいました。単なる翻訳に過ぎないじゃないか、といった声もありましたが、ことわざをどのように分類するかという点に苦心し、その部分は(翻訳ではなく)なかなか新しい試みだったんじゃないかと思っています。

――ことわざに関して、個人的な思い出はありますか?

 子供のころ、教訓の締めには必ずことわざがありましたね。例えば「急がば回れ」だったり、「鱓(ごまめ)の歯ぎしり」だったり。説教にはつきものでした。ことわざで締めることで心に残ったものです。

――現在はどのようにお過ごしですか?

 毎年1本は論文をまとめています。それから、カルチャーセンターでドイツ語を教えています。結局、語学講師が好きなんですよ(笑)。

(聞き手・鈴木雅子)

プロフィール
おとまさ・じゅん
昭和9年大阪生まれ。大阪外国語大学名誉教授、京都外国語大学名誉教授。大阪外国語大学ドイツ語科で学び、母校で長年ドイツ語を教えた後、京都外国語大学でも教える。著書に『ドイツ語ことわざ用法辞典』のほか、『日独比較表現論序説』(2005)や『ドイツ語とのつきあい方』(2013)など多数。

※初出「たとえ艸」第81号(2014年11月22日)