第36回ことわざフォーラム「災害とことわざ」(2024年)

”災害とことわざ”をメインにフォーラム開催

”ことわざフォーラム2024”は、「災害とことわざ」をメインテーマに、12月8日(日)午前10時より杏林大学井の頭キャンパスで開催された。1月の能登半島地震、9月の豪雨禍と災害が続くなか、新たな視角からことわざを見直すフォーラムとなった。

研究発表

最初の報告は八木橋宏勇会員(杏林大学教授)の「ことわざの鮮度はいかに保たれるか?」。 冒頭で、ことわざはよく知られているのに、使用頻度は低い。にもかかわらず、なぜ消え去ることなく、われわれを魅了してやまないのか、と問いかけた。 Chat GPTの回答を紹介した後、認知言語学のAlife(人工生命)という観点を導入し、言語には、言語を保つ仕組みと言語を壊す仕組みが併存するとした。この生命性の議論の観点から言語体系におけることわざの位置づけができるのではないかと考え、ことわざの慣用性と創造性について具体例に言及された。ことわざ研究の新たな息吹が感じられたが、今回は第一弾とのことで、続篇に期待したい。

2番目は、玉村禎郎会員(京都産業大学教授)の「ことわざ誕生の要因と背景─仏教説話集を資料として─」。平安時代末期に成立したとされる『今昔物語集』に、ことわざの萌芽や初出例とみられるものがあることに着目して、 「転んでもただは起きない」や「こうべを傾ける」などの淵源と変遷を追究する。前者は、峠道で馬とともに転落した信濃守の逸話のなかに「受領ハ倒ル所ニ土ヲ爴メ」とある。その後、「転んでも〔こけても〕土をつかむ」となり、さらに「~ただは起きぬ」が派生し現在に到ったとされた。仏教説話集では、面白い話や奇怪な話が集められ、教えをわかりやすくするため、ことわざやその萌芽が用いられたと考えられるという。

3つ目の報告は大島中正会員(同志社女子大教授)の「ことわざの用法を分類する―内容と形式に着目して―」。 大島氏は近年ことわざの2次的用法を追究されていて、今回は次の4種の分類案と実例が示された。
1. 内容変えず形式変えず 2. 内容変えず形式変える
3. 内容変えて形式変えず 4. 内容変える形式変える
分類は論理的で実例も興味深いが、その先に何が見えてくるのか、今後の展開に注目したい。(尾﨑光弘)

続いて鄭芝淑会員(鹿児島大学准教授)の「『語法会話朝鮮語大成』のことわざについて」。この資料は、奥山仙三(1889-没年未詳)編(朝鮮教育会、1928)で41件のことわざが収録されている。内容はPS度数が高く、現在もよく知られるものが大半で、高橋亨『朝鮮の物語集附俚諺』(1910)などと共通するものが8~9割。収録数はかぎられるが、ことわざを朝鮮語教育の重要な素材とした点で韓国におけることわざ研究に少なからぬ影響を与えたと思われる、とされた。科研費の助成を受けた研究の一環で、その成果全体の公開が待たれる。

最後は、北澤篤史会員(「ことわざ・慣用句の百科事典」サイト制作者)の「備えあれば憂いなし-ことわざを通して意識づける災害時の命を守る知恵」。 報告者自身の消防士・防災士としての経験を生かし、消火場面などの迫力満点の動画を駆使したユニークなもの。内容は「1.安全区域の備え:命あっての物種(安全区域を必ず設定しよう)」から「7.大切な人の命を守る備え:後の祭とならないための心肺蘇生法」まで7項目で構成されている。いずれもことわざをサブタイトルに、過去の災害場面も収録し、防災に役立つ実践的なガイドとなっている。意欲的で強く印象に残る報告であった。(大島中正)

ワークショップ「ミニマムで学ぶ世界のことわざ」

午後の部はワークショップから開始された。ミニマムで学ぶことわざシリーズ(クレス出版刊)の6言語6冊が2024年に完結したことを受け、韓国語の鄭芝淑会員、中国語の千野明日香会員、スペイン語の星野弥生会員から発表が行われ、それぞれの言語や文化に特徴的と言えることわざが原語を交えて紹介された。最後に、監修にあたった北村孝一会員から「ミニマム」の意義およびシリーズの意図が説明された。「ミニマム」はロシアの研究者ペルミャコーフが提唱したもので、外国語を学ぶ際、言語能力以外に最低限のことわざも身につける必要があるとする。本シリーズでは、異文化理解のアクティブなツールとして各100項のことわざを精選し、意味だけでなく背景の説明や現代の会話例を収録した点に特色があることが示された。(鈴木雅子)

講演「温暖化で変わる暮らしと天気のことわざ」

今回のゲストは、長年NHKでお天気キャスターを務めた村山康司さん(気象予報士)。 冒頭で「暑さ寒さも彼岸まで」を引き、近年の異常気象でこのことわざは死語になったという。日本の温暖化がどれほど進んだか解説され、異常気象は偏西風の蛇行によるものと分析された。温暖化により海面温度が上昇し、空気中の水蒸気が増加し、想定を超える集中豪雨や豪雪がもたらされたのだ。

その結果、 「天災は忘れないうちにやってくる」。 寺田寅彦の「天災は忘れたころにやってくる」を打ち返す警句で、寺田の名句も死語となるのかもしれない。

さらに、異常気象に対し行政や私たち住民の対応がきわめて不十分な実態も明らかにされた。江東区や江戸川区では、大洪水に対処できず避難場所すら設定されていない事実を知らされ、肌に粟を生じた。

最後は、 「近くの他人より遠くの親戚」と、ことわざの常識を逆転させた。大規模災害では近隣全域に被害が及び、ご近所には頼れないから、遠方に住む親戚と日頃から仲よくしておくことが大切、と結ばれた。

災害に対してメッセージ性に富み、ことわざも巧みに織り込んで、フォーラムのテーマにふさわしい印象的な講演であった。(永野恒雄)

シンポジウム「災害とことわざ」

最初の報告は、尾﨑光弘会員による「洪水常襲地における防災の知恵」。 尾﨑氏は、川越市握津の荒川の水害体験記から記憶術の可能性を見いだし、 洪水災害を三場面(出水時の対応、洪水中の過ごし方、後片付け)に分け、空間と時間の経緯に沿って、何を観察し、何をなすべきか、心構えを短く印象的な強い言葉でことわざ化した。常に洪水を念頭に三百年余りを生きた握津の人々が受けた被害は、荒川の直線化という人為的災害でもある。

続いて永野恒雄会員の「寺田寅彦とその名言」。 物理学者、随筆家、俳人である寺田寅彦の名言「天災は忘れたころにやって来る」の普及、出典、バリエーションを軽妙に語られた。とりわけ出典に関しては、寺田寅彦『天災と国防』(岩波新書、1938)所収の「津波と人間」に当該の警句の意図と根拠が明確に表現されているとして原文と共に紹介された。地震や津波は頑固に保守的に執念深く必ずやって来る。人間にできる唯一の対策は、過去の記録を忘れないように努力すること、それしかないことが強調された。

最後は北村孝一会員の「災害伝承としてのことわざ-ことわざ辞典の死角から」。 副題の「死角」は、災害関連のことわざの伝承が途絶えがちで、そのプリミティブな普遍性が忘却されている現状への問題提起を示す。「寝耳に水」が夜間の豪雨で目覚めた時には既に洪水が間近に迫り慌てふためく、が本来の意であることが示されたのち、「尾崎谷口宮の前」が紹介された。土地の特性を列挙したことわざで、尾崎(尾根の突端)、 谷口(谷や沢の出口)、 宮の前(堂や神の前)は斜面の崩壊、洪水、土石流、風当たりなどの危険が大きい場所なので家を建てるべきではないとシンプルに子孫に伝えている。尾張藩の収入源であった木材調達の際の森林伐採が土石流(蛇抜け)を何度も引き起こし、多くの犠牲者を出し続けた南木曽の人的災害が豊富な資料により紹介された。

その後のフロアを交えた討論では、さまざまな意見が交換された。人的災害は特に第二次世界大戦後に増加、雑木林が経済価値の高い針葉樹林に変換されたことによる土砂流の増加、埋め立て地で水に近い場所に高層マンションを建て続ける現状、災害の記憶を碑石や被害を象徴する具体物で残すことの可否(子孫に伝承したい vs.思い出したくない)、「情報」や「指示」待ちに馴れた私達の本能で動く力の低下など。世界各地で災害が頻発する今、過去の災害を忘れない伝承としてのことわざに豊かな鉱脈を見る思いがした。(保阪良子)