“辞典とデータベース”を考えるフォーラム
“ことわざフォーラム2022”は、「ことわざ辞典とデータベース」をメインに2022年12月3日(土)午前10時より杏林大学井の頭キャンパスで開催された。オンライン併用のハイブリッド方式も3年目を迎え、スムーズな進行が実現。参加者はリモートを含め31名と少なめだったが、シンポジウムでは、ことわざ辞典の新たな可能性を拓く複数のアイデアが提言され、刺激的なフォーラムとなった。
研究発表
午前の部の研究発表(自由テーマ)では、4名の会員による報告が行われた。
まず長谷川スベトラ・イワノワ会員(星城大学講師)の報告は、「身体語彙を扱った慣用句とリハビリテーションの関係について」と題するユニークなもの。身体語彙を用いた慣用句について、日本語とブルガリア語を比較し、日本語は、手、目、胸を扱ったものが多く、ブルガリア語は、手、目、頭を扱ったものが多いという。その上で慣用句の身体語彙は、運動体系に関わるもの(手、足、首、腰、膝、指)で、同時にリハビリテーションの対象でもあると指摘し、最後は「身体語彙慣用句は言語学の中のリハビリテーションとも言える」と締め括った。
次に玉村禎郎会員(京都産業大学教授)は「ことわざのなかの仏教由来語」と題して報告された。たとえば、「金輪際の玉も拾へば尽る」ということわざがある(俚言集覧)。「金輪際」は仏教用語で、地層の最も深い場所をさした。そんなところの玉でも一つずつ拾ってゆけば、いずれはなくなる(どんなに大変な仕事でも、いずれは終わる)。しかし、金輪際は当初の意味が失われ、「決して」と類義で副詞的に用いられることが多い。このほか、安心(あんじん)のように、元来は仏教用語だが、ほとんど仏教との関わりが意識されなくなったものもあるという。
三番目の髙村美也子会員(南山大学人類学研究所研究員)は、「ボンデイ語のことわざ『矢が落ちた草原が矢の場所である』は何を表現しているのか」と題し、このことわざを通してボンデイ社会を考察した。ボンデイ社会は父系血縁集団を維持しており、結婚した娘が死んだ場合、婚家ではなく、実家に戻って埋葬される。そうした社会において、「矢が落ちた草原が矢の場所である」ということわざは、「ボンデイの人々(矢)が戻る場所は、父方の先祖が過ごした場所(草原)である」という意になるという。そうした信仰・文化・民俗は、アフリカ全体の中でどのような位置を占めているのか、時間が許せば、もう少しご説明いただきたかった。
最後に鄭芝淑会員(鹿児島大学准教授)は、「日本統治時代の朝鮮語教科書の俚諺について」報告。日本統治時代の朝鮮語教科書に載った「ことわざ」を悉皆的に提示し、詳細に分析したものであった。分析の対象は、統監府の『普通学校学徒用国語読本』、総督府の『訂正普通学校学徒用朝鮮語読本』、『普通学校朝鮮語及漢文読本』、『普通学校朝鮮語 漢文』の4種。これらの朝鮮語教科書は、総督府の国語教科書(日本語)に比べ「ことわざ」の採録が多いという。当日の配布資料は、全容を紹介できないが、非常な労作であった。(永野恒雄)
ワークショップ
午後の部は、佐竹秀雄会長のご挨拶に続き、ことわざ辞典に関するワークショップが行われた。近代以降の日本語、韓国語、英語のことわざ辞典について、3名の会員によって言語別に分担する形で報告がなされた。
まず尾﨑光弘会員(元小学校教員)による「近代日本における三大ことわざ辞典の由来と特色」。日本語のことわざ集としては早い時期のものとされる『北条氏直時分諺留』(1600年頃)は、ことわざの説明はないが、排列をみると、戦国の世を生き抜く知恵と思われるものが並んでいる。この構成は、読者の心に響く表現を見出すための選択肢だったのではないか。近世にいろは順の排列が主流となるにつれ、その底意は忘れられたようだが、近代以降の三大ことわざ辞典では、用例の豊富化や類諺を並べた索引として残っているものと思われる。
次に鄭芝淑会員(鹿児島大学准教授)は「朝鮮語のことわざ辞典について」報告し、近代以降の辞典について紹介した。崔?植『朝鮮俚諺』(1913)は、ハングルで記述された最初のことわざ辞典で、カナダ順に排列されている。高橋亨の俚諺集2点(『朝鮮の物語集 附俚諺』〔1910〕、『朝鮮の俚諺集』〔1914〕)や朝鮮総督府の『朝鮮俚諺集』(1926)が日本語で記述するのに対し、ハングルによる『朝鮮俚諺』の意義は小さくないという。
その後刊行された方鐘鉉・金思燁『俗談大辞典』(1940)や代表的ことわざ辞典として定評のある李基文『俗談辞典』(1962、改訂版1980)では、構成や記述が緻密になり、利用者に多くの配慮がなされている。また近年は、用例を重視した鄭鐘辰『俗談用例辞典』(1993)、同『韓国俗談大辞典』(2008)も刊行されているという。
最後は、鈴木雅子会員(昭和女子大学専任講師)による「ことわざ辞典(英語)」。近代の日本で西洋のことわざがどのように受容されてきたかという視点から、初期の英和辞典、これに影響を及ぼした英英辞典、日本語で刊行された英語のことわざ集や辞典について歴史的に概観するものであった。詳細な経緯をコンパクトにまとめ、文献の映像も交えて、わかりやすい報告であった。最後尾﨑に近年の英米のことわざ辞典に少しふれ、アメリカではオンラインの辞典に重点がおかれているとされた。機会があれば、最近の状況についても詳しくご紹介いただきたいと思う。(尾﨑光弘)
シンポジウム「ことわざ辞典とデータベース」
シンポジウムは、編集者の星野守氏をゲストに迎え、3名のパネリストによる報告と“よりよいことわざ辞典を創るための提言”がなされた。
まず八木橋宏勇会員(杏林大学准教授)が「ことわざの創造的使用と辞典」と題して報告された。最初に辞典に記載されているような本来のことわざの定形が、実際には必ずしもそのまま使われていないことをコーパス等の具体例から説明された。そして、ことわざの語彙の入れ替えや創造的使用などを考慮した現代的なことわざ使用に関するデータベースの構築、またデータベースの辞書制作への活用についての提言がなされた。
次に星野守氏(元小学館外国語編集部部長)は、「辞書制作へのコーパスとことわざ辞典」と題し、デジタル化が進んだ結果、辞書編纂作業の内容や方法が近年大きく変わったことをまず指摘された。数億語規模のデータベースを駆使できる現在、研究者用なのかユーザー用なのか、データベースの目的の明確化が重要という。辞書制作の現場での体験を踏まえ、広い視野からの報告で、どのような目的で、どんな内容の辞典を編纂するのか枠組みを決めることによって、ユーザーフレンドリーな辞典がもたらされるのではないか、と提言された。
佐竹秀雄会員(武庫川女子大学名誉教授)は「国語辞典とことわざ辞典、そしてデータベース」と題し、まずことわざ辞典は国語辞典と比較して、意味や語源・由来の記述がメインとなっている点、現代よりも歴史的な視点に重きが置かれている点、さらに使用者はことわざの意味よりもことわざにまつわる情報を求めているという点が指摘された。そのうえで、国語辞典の工夫、例えば類義語や用法上の注釈といった点をことわざ辞典にも活かせるのではないか、また、ことわざ辞典のためのデータベースには長文データが必要となることにふれたほか、ことわざ辞典そのものがデータベースになりうることなど、示唆的な問題提起と提言がなされた。
パネリストの報告後、フロアとの質疑応答が行われ、ことわざのコンテクストをどのようにデータべース化できるか、口頭で用いられることわざ、つまり話し言葉をどのようにデータベースに反映させるのか、などの質問が寄せられた。パネリストからは、まずは個人でできることから始める。表現を書き留めることから始め、データを共有していくとデータベースとなる。個人のアイデアを他の人に伝え、その輪を広げていく。最初からすべてをカバーすることはできないが、少しずつ進めていくことが大切ではないか、などの回答や提言が続いた。質疑を通じ、学会の今後の活動に期待が寄せられていることをあらためて実感するシンポジウムであった。(鈴木雅子)