農業志望からヒンディー語研究へ――岡口良子氏に聞く――

――ヒンディー語がご専門ですが、最近のお仕事は?

 夫の典雄と一緒に、中級の文法書を出しました。ヒンディー語は、英語でいえばまだ明治時代で、入門書しかなかったんです。でも、中級までやる人は少ないので、本として売れるかどうか……。
それから、辞書もやりかけています。辞書は立派なものがあるんですが、文法と逆で、初級者向けのがありません。特に日本語‐ヒンディー語の辞書がないので、10年ぐらいかけて取り組んでいますが、他の仕事と並行しているので、なかなか思うように進まず、まだ半分を越えた程度、先は長いですね。

――最初からヒンディー語を専攻されたのですか?

 いえ、最初は農業をやりたくて、岩手大学の農学部に入りました。東京育ちなんですが、汗流して働くのが好きで、宮沢賢治の影響もありましたね。ところが、当時は女性が農業をやろうとすると、農家の嫁になれ、嫁になるなら世話してやるという時代でした。どうもそれが怖くて、本家や分家なんて嫌で、結局、東京に戻って一般企業に就職しました。

――ヒンディー語との出会いは、いつ、どこで?

 1979年ころ、初めての海外旅行でインドへ行きました。仏教遺跡を巡るツアーで、ブダガヤやナーランダなどを訪れたんですが、あるとき、小学生たちが私たちのことを何か言って、笑ったことがありました。旅慣れた人たちが英語で質問してもまったく通じません。私も挨拶ぐらいしたいと思いましたが、何という言葉を話しているのかかもまったくわからなかったんです。それで、日本に帰ってから百科事典を引いて、英語とヒンディー語が公用語と知りました。

――それから、ヒンディー語を一から学ばれた?

 ええ。でも、教えてくれるところがあまりなくて、1年後ぐらいに企業経営者が事務所を夜も活用しようと半分道楽でやってたところに通い、次に拓大の市民講座を受講したんですが、初級しかなくて……。だけど続けたくて、初級を3年やりました。幸い、初級をあきるほどやったのは、本当に身になる貴重な体験でした。
 それから、デリーの外国人向けのヒンディー語学校に願書を出し、仕事もやめて、さあ行くぞと思っていたら、音沙汰なしで、1年棒にふりました。1年後にようやく入れて、行ってみると世界中からいろんな社会人が来ていて、とても勉強になりました。その経験の後に、よし、本格的にやってみようという気になったんです。

――ところで、ことわざ研究との関わりは?

 知人に96年の Tokyo国際ことわざフォーラムに誘われたのがきっかけです。もともと少し興味があったので、研究会に入り、インドのことわざの報告をしたり、学会になってからフォーラムや明大の授業でも話す機会がありました。インドは映画が盛んで(私も字幕翻訳をやっています)ことわざもよく出てきて興味深かったのですが、まとまった成果を出すには至っていません。

――幼い頃、ことわざの思い出は何かございますか?

 いま思い出したのは、小学生のころの折り紙で、折ったものを開くと、その時によって違うことわざが出るような遊びがありました。あらかじめことわざを書いておくわけですが、母に相談したら、「猿も木から落ちる」とか「犬も歩けば棒に当たる」など、いま思うと、ごくふつうのものを教えてくれました。私はこの遊びをかなり鮮明におぼえているのですが、夫に聞くと、そんなの知らないという反応です。同年代なのに、地域や男女によっても違うのでしょうか。

――研究以外のご趣味は?

 最近はあまりしていないんですが、読書と音楽鑑賞ですね。音楽は、ジャンルを問わず何でも聴きます。

――最後に、今後の研究について一言どうぞ。

 ことわざに限定ということではありませんが、ことわざを含めたヒンディー語の口語表現を少しでも多く集めていきたいと思っています。

(聞き手・北村孝一)

プロフィール
おかぐち・よしこ
拓殖大学言語文化研究所講師。朝日カルチャーセンターなどでもヒンディー語を教え、インド映画の字幕や児童書の翻訳をてがける。岩手大学農学部卒。東京・蒲田生まれの蒲田育ち。著書に、『ヒンディー語文法ハンドブック』(共著、白水社)、『指さし会話帳インド編』(情報センター出版局)など。

※初出「たとえ艸」第83号(2015年11月25日)