意味論を視野に資料集をじっくり読みたい ――尾﨑光弘氏に聞く――

――ことわざに関心を持たれたキッカケは?

 1976年、中国や韓国など海外で生まれ育った小学生に日本語を教える「日本語学級」(当時は都内の小学校では唯一)の教員になってから、三浦つとむ『認識と言語の理論』で、庄司和晃先生のコトワザ研究を知ったことです。小学校という教育現場が研究フィールドになることへの驚きといってもいいと思います。庄司先生のコトワザ教育関係の著書を国会図書館でコピーして読むようになりました。本格的に授業のなかに導入するのは、やはり全面教育学研究会(全面研)に入門してからです。

――庄司先生のコトワザ理論を手短かにご説明ください。

 やはりコトワザ「論理発見」説といっていいのではないでしょうか。「論理」といっても感性と論理が表裏をなす「感性的論理」のことです。だから「表象としての論理」と呼ぶこともできます。 庄司先生のコトワザ理論は、このような論理的性格がもたらすコトワザの面白く(鑑賞性)・役にたち(実用性)・ためになる(価値性)という三拍子そろった魅力に心づき、自分もまたコトワザを作り得る主体となれるような人間に育ってほしいという願いのこもった理論だと思います。

――ことわざ教育、創作ことわざの実践については?

 全面研の例会に自主的に提出されたレポートを振り返ってみると、コトワザ教育関係がとても多かったと記憶していますが、コトワザ教育の実践では、「一日一諺方式」といって毎朝10分位を使って伝承コトワザを一つずつ教えていく授業と、まとまった時間をとる「特設の授業」の組み合わせが一般的だったと思います。後者の実践には、型はめから始まる創作ことわざ、ことわざ交じり作文、賛否・好き嫌いの多いコトワザ、たとえば「うそも方便」をとりあげ、賛否の根拠を提出し議論する授業、さらに庄司先生によるコトワザの教育的分類案をつかった授業が盛り上がりました。

――ことわざ研究で、いま取り組んでいるテーマは?

 二つあります。一つは2017年9月のことわざ学会の例会で報告した「庄司和晃氏のことわざ研究」レポートを、未発表資料を踏まえて再度その研究過程を検証し、その先を跡づけることです。現在、全面研の例会は休止したままですが、先生が遺された未発表資料を整理し、「著作目録」を作成する事業がスタートしましたので、この機会を逃さず未発表資料を読み込んでいるところです。
 もう一つはことわざの意味論です。庄司先生のことわざ理論では、表の意味(感性的な面)と裏の意味(抽象的な面)区別しつつ連関を論じていくことが、その意味解読作業の定番になっているわけですが、とくに比喩性の弱いものや実用的な天気コトワザ・職人コトワザなどの「知識コトワザ」、あるいは地口などの「遊びコトワザ」は表裏それぞれの意味を析出することは難しいわけです。これをどう理解すれば、すべてのコトワザの意味をスッキリ解釈できるかという問題を考えています。

――ことわざ学の展望についてお考えは?

 上に述べたコトワザ場面の捉え直しという概念はコトワザの意味の歴史的累積を示唆します。もっといえば、捉え直しの時代ごとの水準がわかってくる期待があります。この意味でことわざ学会が編集したことわざ文献資料集をじっくり読みたいという気があります。

――ご自身が書かれた文章で気に入っているのは?

 最初に活字になった「コトワザ習得考」(『全面教育学』vol.1, 1988)でしょうか。高学年の子どもたちが書いた「ことわざ物語」をコトワザ習得という観点で分析したものですが、ここで「体験のコブ」という小さな認識上の転換点という考え方を見つけたことです。これは今でもわたしの認識論の土台になっています。

――最後に、好きなことわざをひとつ。

 「百日の説法屁一つ」ですかね。ときどき忘れてしまいますが、何かの折りにこのコトワザに出会うと、なぜか新鮮な気持ちになります。理屈を捏ねるのが好きな人間には常備薬みたいなものでしょう。

プロフィール
おざき・みつひろ
1952年福島県生まれ。 東京学芸大学卒業。31年間東京都の小学校教員として勤務。この間コトワザ教育の実践研究に励む。川越民俗の会会員。ことわざ学会会員。

※初出「たとえ艸」第88号(2018年10月20日)